小学校に入ったばかりのある日。
朝起きたら、ふとんの中で一緒に寝ていた母が話し始めました。
「あなたは、手術をしたことで、もしかしたら大人になって子どもが生まれないかもしれない」
お腹の傷を指しながら言いました。
僕は小さい頃、体が弱かったそうで、
ちょくちょく車で2時間くらいかけて
大学病院に行ってたことは今も覚えています。
小学校に入ったくらいから病院通いなんか全然なかったので、
今ではそれが自分じゃない人の話みたいな感覚ですが
とにかく、いくつか病気をしたそうで、お腹に手術の跡があります。
あの朝、そんなに詳しく説明されたわけではありません。
でも、母は申し訳なさそうに、意を決したように言ったのを覚えています。
僕はまだ小さかったので、正直大人になってからの話をされても……
みたいによくわかっていなかったのと、
生まれないと言われたわけじゃなかったこと、
悲しそうな母の顔を見ているのが嫌で
「大丈夫! これから元気に生活できるんでしょ」
みたいなことを言いました。
それからは、大学病院に行くことはなくなったし
中学校は皆勤賞、高校も1日しか休まず行けるくらい
健康に学校生活を送ることができました。
大学で太って、健康診断の際に脂質が多いって言われたことはありましたが……
とにかく、母とあの日以来、その話をすることもなかったし、
健康に生活できたので
そんなことはすっかり忘れていたわけです。
それから月日は流れ、30歳になった僕には結婚を考える大好きな人ができました。
母に報告すると、
「あんたは結婚しない方がいい」
と一言。
なんでそんなこと言うんだ?
いや、地元を離れて結婚するから?
田舎すぎるこの町には帰ってこなくていいと言いつつ、本当はさみしかったのか?
でも、そんな感じでもなさそうな雰囲気。
どっか嬉しい気持ちをもってくれてるのか、
結婚を止めるわけでもなく、
別にそれでいざこざがあったとかでもない。
ただ、私は結婚しない方がいいと思うという、
意見にも満たない感想を伝えたかったよう。
そんな結婚がすぐそこの未来になったある日、彼女が僕に聞きました。
「もし、子どもが生まれなかったらどうする?」
「そりゃ、2人でいるだけで楽しいし、それはそれでいいじゃん。授かりものだしね」
「うん、私もそう思う。そしたら、お金いっぱい自分たちにつかおうね」
結婚に希望しかない2人の会話、
何気なく笑顔で話して終わったけれど
ふと、自問自答してしまう。
Q、本当に子どもがいなくてもいいの?
A、いいよ!
Q、じゃあ、彼女は本当に子どもがいなくてもいいと思っているの?
A、いいと言ってくれてるけど……
Q、もし、自分の体の問題で子どもができなくても、申し訳ないって思わない?
A、え……
そう思った時、忘れていたはずの母の言葉がよみがえってきたのです。
「あなたは子どもが生まれないかもしれない」
そうだった。自分だけの人生じゃなくなるんだ。
自分が一緒にいたい人と自分が一緒にいられれば幸せなの?
それは、病気に関係なく、誰だって子どもが生まれるかなんてわからないし、
子どもがいなくても幸せになれると思う。
でも、結婚する前から僕はパパになれないとわかっていても、
本当に彼女は僕と結婚するって言ってくれるだろうか?
多分、言ってくれる。
1年付き合ってきて、それはそうだと思う。
ただ、その選択肢を示さず、結婚していいの?
しかも、僕は小さい時の病気の影響で子どもができないかもしれないと言われているのに。
そう思った時には、精液検査を受けることが自分の中で固まっていました。
ネットで情報を調べ、意外にいろんなところでやっていることがわかり
知っている人と会ったら嫌だなと思い、小さな泌尿器科系の病院に行くことに。
費用ははっきり覚えていませんが、2回病院に行って数千円だったような気がする。
初めて行った泌尿器科ではご年配の方が多く待合室で座っている。
僕の名前が呼ばれ、診察室に入り
「今日は、どうされました?」
と聞かれ
「結婚しようと思うんですが、その前に精液検査をしたくて」
「なぜ?」
「小さい時に病気をした影響で子どもができないかもしれないと母に言われてて……」
「なんの病気?」
「はいけっしょう……になったとか聞いたような」
「それは、多分ちがうと思いますよ」
「あんまりそんな話をしてこなかったもので……」
「いい機会だから今度話をしてみたら? それで、いろんな方を診てきたけど、結婚前に精液検査はおススメしない。結果が悪ければ結婚しないってこと?」
「うーん、それは……」
「やめておきな」
ちょっと言葉に詰まってしまったけれど、
僕は何をしにここに来たんだ?
精液検査を受けるか相談しに来たのではなく、
「僕はパパになれますか?」と聞きに来たんだろう。
「いや、それでもしたいです。彼女にこの結果を伝えておきたいし、何よりずっと考えてこなかった自分の体について考えるきっかけにしたい」
「そういうなら……」
と言って簡単な診察を終えると、
「カップを渡され次の日曜の朝9時に1時間以内のものを持ってきて」
そう言われ家に帰った。
言われた通りにして、結果を知らされる日がきた。
平日の仕事の後、僕は病院にむかった。
オレンジの空が少しずつ暗い青へと変わっていく。
いつもと変わらない平日。
別に手術をされる恐怖も、とんでもない病気になっている可能性もない。
妙に心は落ち着いているのに
頭の中で「おい、この結果でお前の人生大幅に変わるかもしれないぞ」と
なんか嫌なことを言ってくる自分がいる。
そうだよな。そん時は彼女になんて説明しよう。
そう思いながら、診察室のドアを開けると
開口一番
「大丈夫、問題なし」
と白衣をきたおじさんはそっけなく言った。
もう、終わりだよ! 帰っていいよと言わんばかりに
軽く僕に目を合わせてそういうと、紙を一枚手渡し何かを書き始めた。
「あの、これって……」
と聞くと、思い出したように、紙に書かれた数値の説明をしてくれた。
これがそもそもの数で、元気なのがこれくらいの数いて……
適正がこれくらいって言われてるから、大丈夫。
安心して今のところ問題はない。
ふぅと安心して、家に帰ってすぐに彼女にその話をした。
「よかった」
結果を伝えて彼女はそう言ったが、それの何倍も気持ちがこもった声で同じセリフを言ってくれた人がいた。
母親だ。
あの時「結婚しない方がいい」と言ったのは、小さい頃、僕に話をしてくれた日のことを思い返して言っていたのだと気づいた。
僕はその話を思い出す日はなかったけれど、母はその逆だったのかもしれない。
子どもが生まれなかったら、奥さんに……そんなことを考えていたのだろう。
それから4年。僕は毎日元気な赤ちゃんの声で目を覚ましている。
そして、遠く離れた母に、これでもかと我が子の動画をしょっちゅう送りつけている。
それが僕なりの母に対する感謝の表現なのだ。
心配してくれてありがとう。大切に育てます。
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